山梨県立博物館へ武田勝頼展を見に行ってきました
4/12(土)前日の雨が嘘のように晴れて、心地の良い天気。
バイクで山梨県立博物館へ行ってきました。
行きは時間重視のため高速道路を使いますが、単気筒エンジンのSR400での高速道路はツライばかりで忍耐の行程です。
一宮御坂ICで降りると、まだ桃の花が咲いており桃源郷を楽しみながら到着!
今回の目的は、「武田勝頼展」
武田信玄亡き後跡目を継いだ勝頼は、長らく武田家を滅ぼした凡将として描かれていました。
今川義元、明智光秀、松永久秀などと同様、昨今きちんとした研究が進み、再評価されつつあります。
長篠の合戦で敗北した後、なし崩しに衰退して滅亡したイメージがありますが、領土が最大になったのはこの後なんですよね。
入り口に展示されていたのは「新府城」
長らく拠点としていた「躑躅ヶ崎館(現在の武田神社)」から、勝頼が移り住んだ城ですが
完成する前に織田信忠が侵攻してきたため、城を捨てて退却。
大月市の岩殿城へ向かいますが小山田信茂の裏切りにより城には入れず、滅亡へと向かいます。
こうしてみると、いわゆる天守のような高い建物はありませんが、空堀と土塁に囲まれた関東の戦国の城の凄みが見事に再現されています。
新府城は何度か行っておりますが、周りには桃の花が咲き、本丸には桜が咲く、春先に行くと美しいところです。
展示の中でいちばん見たかったのは、「長篠合戦屏風」と「武田勝頼と夫人と子の信勝を描いた絵」
「長篠合戦屏風」はよく教科書に載っている屏風絵とは異なる図柄のもので、下絵なので有名どころの武者だけ色がついているもの。
おかげで主要な武者たちがどこにいるかが一目でわかります。
色のついていない人たちもの表情も細かく描写されております。
長篠の合戦は馬防柵と鉄砲に阻まれて一方的に武田が負けているイメージがありますが、この屏風では馬防柵の内側まで入り込んでいる武者も描かれており、決して一方的な戦さではなかったことが見て取れます。
「勝頼と夫人、子の信勝を描いた絵」は、家族を一枚に描かれたとても珍しいもの。
当時の武将の絵は本人だけが描かれているのが普通ですが、この絵は家族が一枚の中に収まっています。
夫人は北條氏から嫁いできているので、北條氏と手切となった時点で実家にもどればよかったのですが、最期まで勝頼について行って、一緒に命を落としています。
このことからも、勝頼の人となりが見て取れます。
2時間くらい展示内容をじっくりと見て出口まで来た時に、壁の向こうから展示内容を解説している声が聞こえてきました。
この日は博物館のHPには特に告知はなかったので、なんだろう?って思い、戻ってみるとなんと! 武田氏の研究で有名な平山優先生が展示物の解説をしているではありませんか!!
ここからさらに1時間、じっくりと解説を聞かせていただきました♪
あと3分早くきていれば会場から出ていたので、運が良かったです。
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