河口湖自動車博物館の零戦
河口湖自動車博物館には3機の零戦があります。
これは戦争初期の21型
真珠湾攻撃時の零戦です。
後方飛んでいるのは、同時期の陸軍主力であった隼1型です。
プロペラが2枚の隼に対して3枚の零戦は、シュッとして洗練されたイメージがあります。
零戦21型と隼1型-2648 posted by (C)あまがっぱ
零戦の長大な航続力をささえた燃料増槽タンク
がらんどうではなく、穴の開いた仕切りが入っていたのですね。
燃料が減ってきたときに、タンク内部での液体が大きく移動して、飛んでいる飛行機のバランスを崩さないようにするための構造なのでしょうね。
零戦_増槽タンク-2652 posted by (C)あまがっぱ
2機目の零戦は同じく21型ですが、外板が貼られていないスケルトン構造
翼の根本にある銀色の箱は燃料タンクです。
零戦_スケルトン胴体-2637 posted by (C)あまがっぱ
翼内の20mm機関砲
零戦_スケルトン翼-2638 posted by (C)あまがっぱ
機首の隙間から見た操縦席
零戦_操縦席-2636 posted by (C)あまがっぱ
3機目は戦争末期の主力であった52型
零戦52型-2615 posted by (C)あまがっぱ
◯△型という数字は1桁目の◯が機体のバージョン、2桁目の△がエンジンのバージョンを表します。
零戦の場合は 11型→21型→32型→22型→52型 と変遷しています。
32型は21型の翼端を切り落としたような形状で、零戦の中で唯一翼端が角ばった形をしています。
機体形状とパワーアップされたエンジンにより、航続距離は落ちてしまったようです。
32型から22型に数値が後退しているのは、32型の航続距離が短くなってしまったために当時の作戦に支障がでてしまい
21型の機体に32型のエンジンを積んだ22型を作ったためです。
2桁目がずっと2なので、エンジンのバージョンアップがずっとできなかったということがわかります。
この辺りはドイツのメッサーシュミットやイギリスのスピットファイアが、当初は1,000馬力級のエンジンだったのが、最終的に2,000馬力級のエンジンを積むようになったのと対照的ですね。
そもそもの機体の設計に余裕がなく、当初のエンジンで最高の性能を出すためのギリギリの設計をしてしまったために拡張性がなくなってしまったといったところでしょうか・・・
復元された機体の前には、修復前のパーツの一部が置かれていました。
零戦52型 復元前の一部-2616 posted by (C)あまがっぱ
零戦52型 復元前の翼端-2619 posted by (C)あまがっぱ
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